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2014年5月

石川雲蝶バスツアー見聞録②


③西福寺・開山堂

いよいよ今回ツアーの目玉、

西福寺・開山堂へ11時過ぎに到着。    Unchou_333r

曹洞宗の名刹・西福寺。

1852年に」起工し、1857年に

完成した開山堂は「雪深く貧しい

農村地域の人々のよりどころと

なるお堂を建てたい」

「お釈迦様や道元禅師の教えが

多くの人の心を幸せに導く」と

信じた当時の住職・大瀧和尚が、

道元禅師の世界を表現するよう

雲蝶に依頼したものとのこと。


道元禅師猛虎調伏の図

雲蝶作品で一番有名なのが開山堂の吊り天井に透かし彫りで

施された大彫刻。迫力ある彫刻が岩絵の具で色鮮やかに塗られ、

息をのむ豪華絢爛さに唖然とするばかり。

「道元禅師猛虎調伏の図」と題されたこの大彫刻は、

撮影禁止のためパンフレットの写真を載せました。

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修行中の道元禅師が虎に襲われそうになった時、持っていた杖が

竜神と化し、虎を追い払ったという話しの彫刻。

じっくりとこの図を見て、雲蝶と対峙してみたい一大作品です。

次に目を奪われたのは


本堂襖絵の雲蝶作「孔雀遊戯図」。

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江戸時代の画家で孔雀を描いた画家は数多くいますが、雲蝶の孔雀は

実にきめ細かく美しい。

ある意味、江戸時代を代表する孔雀画だと言えるのではないかと

思います。ところで、「孔雀遊戯図」は4枚の襖に描かれているのですが、

ガイドさんの話しでは、この襖絵の主役は牡丹でも孔雀でもないと。

私が撮った写真の左隅にある石橋だそうです。

石橋を境に孔雀や大輪の花を咲かせている場所が不老長寿の園。

人は誰でもここを目指しこの橋を渡って楽園に行きたがる。

長い人生、善人であり続けた人がたどりつけるという人生訓が

描かれているという。奥が深い。

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次に、雲蝶作襖絵「三顧の礼」の上にあった欄間の花鳥図。

私はどうしても鳥に目を奪われてしまう。

迫力ある龍や獅子などの彫刻とは全く違う、繊細な優しい絵を

描く雲蝶の豊かな感受性に感銘を覚えます。

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またこれも雲蝶作の欄間障子「三保の松原」。

光の差し込みで微妙な陰影を見せる。お見事です。

さて、開山堂の彫刻物で向拝部分に目を向けると、迫力ある

動物の彫刻に驚かされる。

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烏天狗

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木鼻の獏と獅子

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手挟み(たばさみ)の風神

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虹梁(こうりょう)に琴を奏でる女性

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龍に乗った巻物を持つ老人

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どの彫刻も生き生きと躍動感あふれる作品。ギヤマンの目が

入った烏天狗や龍、獅子などはリアルで生きているように見え

怖さを感じるぐらいだ。


ランチタイム:八海山ご膳

12時過ぎに響きの森公園内の「かたっくり」にて昼食。

「八海ご膳」を食べました。

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このご膳にコーヒーがつき味、ボリュームともまずまずで、結構美味でした。

ちょっと横道。「かたっくり」内に展示していた郷土の伝統的な道具類。

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④永林寺

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昼食後訪れた4番目は永林寺。

約500年前に創建され、                Dsc02956r

葵の紋章を許された由緒深い

曹洞宗の名刹・永林寺。

13年の歳月をかけ雲蝶は

この寺に彫刻物や絵画を

100点も残したという。

本堂内の欄間の天女や雲水龍。蛇身鳥物語などが有名だが、

本堂内は一切撮影禁止ということで、向拝部分の彫刻

しか写真撮りはできず。向拝部分の彫刻を紹介。


龍と獅子。

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ここからは雲蝶パンフレットのコピー写真。


天女(欄間)

天女のモデルは雲蝶があこがれた魚沼の女性と言われている。

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蛇見鳥物語(欄間)

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雲水龍(欄間)

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最後の1枚。

実は、今回の雲蝶バスツアーで一番感動した作品の

欄間の「孔雀」。クジャクの見事なまでの細かい描写と彫り。

鮮やかな岩絵の具で塗り上げられた孔雀はこの上なく素晴らしい。

江戸時代。孔雀の彫刻はほとんど例がないので、おそらく

江戸時代最高の傑作作品ではないかと思う。


孔雀(欄間)

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永林寺の次が5番目として番外(雲蝶作品とは関係ない)、

「浦佐毘沙門堂」ですが割愛しました。

今回のツアーは雲蝶を基に歴史学習もすることになり、

大変内容の濃い感動的なものとなりました。

ツアーを主催していただいた「六日町観光協会」の方々。

そして素晴らしいガイドをしていただいた中島すい子さん

ありがとうございました。また、秋頃、またツアーに参加したいと

思っています。

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石川雲蝶バスツアー見聞録①

越後路へ

日本のミケランジェロと言われる

名工・石川雲蝶のバスツアーに               Unchou_309r_3

現地参加するため、先週の

日曜日(5/18)、越後へ出かけた。

JR越後湯沢駅東口受付が              

8時45分。出発9時の日程に

間に合わせるため、

最寄駅までタクシーにて5時出発。

東京駅7時発 Maxときに乗り

一路越後湯沢駅へ。

越後湯沢駅9時出発は、関東人

にはかなり朝がつらい。

10時頃にしてもらえると助かる

のですが・・・


石川雲蝶について

雲蝶は越後で1000体以上の

彫刻物を残したと言われている。       Img032r

文化11年(1814年)、江戸の

雑司が谷で生まれた石川雲蝶。

本名は石川安兵衛。

20代で既に江戸の彫物師として

名を馳せていたということである。

雲蝶が越後入りしたのは、30代

前半の頃、法華宗総本山・本成寺の

世話役だった内山又蔵との出会いに

端を発するとのこと。

「良い酒とノミを終生与える」という

言葉で、越後入りを決めたそうだ。

越後三条を拠点に魚沼をはじめ、近隣各地で創作活動を始めた

雲蝶は、内山氏の世話で、三条の酒井家へ婿入り。

名実ともに「越後の人」となった由。

ひとたびノミを握れば「彫りの鬼」と化し、作品と向き合った

という雲蝶。

雲蝶作品は木彫りにとどまらず、石彫や絵画にまで及ぶことから、

「日本のミケランジェロ」と称えられている。

明治16年。70歳で生涯を閉じた雲蝶に関する資料は

その大半が焼失したそうで、謎めいた部分が多いという。

とは言え、残された雲蝶作品が彼の功績を物語っている。

その活動のガイドマップは下記の通り。

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石川雲蝶バスツアー

バスツアーの主催は新潟県             Unchou_311r

南魚沼市の「六日町観光協会」。

日程は下記のようになって

いましたが、これはJR東日本

「びゅう」日帰り旅行のパンフに

掲載されたもの。

「びゅう」が「六日町観光協会」

主催のバスツアーに相乗りした形。

「びゅう」は一人参加不可のため、

私は直接「六日町観光協会」に

参加を申し込み実現したわけです。

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ところでバスガイドさんは雲蝶ツアー

専門の中島すい子さんという方。           Unchou_374r_3

何と雲蝶の本まで出されており、

詳しい上にわかりやすい説明で、

約6時間のツアー旅が満喫、学習

できました。

事前に「私の恋した雲蝶さま」を読まれ

ツアー参加されると、雲蝶に関して

数倍、理解度が増すと思われます。

今回のツアーは「びゅう申込」組と

「六日町観光協会申込」組とで

総勢28名と盛況でした。

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①龍谷寺にて鑑賞

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築地本願寺に似た建築様式の

このお堂は曹洞宗龍谷寺の観音堂。

一際目立つ建物だ。

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そして、ここの本堂・欄間にある

透かし彫りの雲蝶作品が有名。

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唐時代の僧・得誠和尚が雲水をわざと船から落とし、

禅問答する様子が描かれている。

海のうねりや人物の表情が素晴らしい。

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中国の想像上の動物とされる「麒麟」や「唐獅子」、

その他「獏」が彫られた欄間は見ごたえあり。

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「得誠和尚の行履」の裏に施され朝顔と葡萄の浮き彫りは、

動物のモチーフと打って変わり、優雅な優しさが漂っている。


②穴地十二明神にて鑑賞

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のどかな里にある鎮守さま。

こんな所に雲蝶作品があるのかと疑いたくなる。

一般の人なら見過ごしてしまう小さな社(やしろ)に

雲蝶作品はしっかりあったのです。ちょっとした感動!

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向拝部分の2頭の獅子。

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向拝の後ろの手挟みに彫られた「松と鷹と雀」

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そして堂内の欄間には源頼政の鵺(ぬえ)退治が未完のまま

残されている。(頼政の背中部分にノミを当てる見当の墨が

ついたまま)しかし、完成度は高く、雲蝶の製作過程を知る上でも

貴重な一品として専門家中でも評価が高い。

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欄間にはもうひとつ。源頼光の大江山の酒呑童子退治

が彫られている。

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ところで、雲蝶作品は全て自分が製作したという表示を残している。

こんな具合に。しっかり自己PRをしている。

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立派な寺社仏閣の向拝や欄間などで彫られた雲蝶作品もいいが、

村の鎮守さまのような小さな社(やしろ)に残された彫刻物に、

私は親しみというか愛着を感じます。

雲蝶作品が残された未発掘の社が越後にかなりあると

ガイドの中島すい子さんの話し。

いずれ日の目を見るであろう雲蝶作品も見てみたいと思う。

次回はいよいよ、ツアーの目玉・西福寺の開山堂と

永林寺の雲蝶作品を紹介します。

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万世橋駅物語

万世橋駅前史

神田川に面する万世橋界隈は       20140502iphone_246r

江戸時代から商業の街として

繁栄していました。

明治以降、主に洋服生地を扱う

問屋街が周辺に形成。

万世橋駅前の連雀町(今は

神田須田町 - 神田淡路町の

一部)には、飲食店、寄席、

映画館が次々と開業。         20140502iphone_240r_2

そして、繁栄する万世橋地区を

目指して、鉄道を延伸しようと

したのは私鉄の甲武鉄道です。

甲武鉄道は1889年(明治22年

)4月11日、立川 - 新宿間を

開通させ、都心への延伸を

進めていました。


万世橋駅の誕生

1912年(明治45年)4月1日。万世橋駅の営業を開始。

なお、甲武鉄道は1906年(明治39年)3月31日に国有化

されました。

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初代の駅舎は豪華そのもの。東京駅と同様に辰野金吾氏の

設計による赤煉瓦造り。

一等・二等待合室、食堂、バー、会議室等を備えていました。

また、貨物用のエレベーターも整備されていました。

駅前には広場が設けられ、日露戦争の英雄である廣瀬武夫と

杉野孫七の銅像が建てられた。

そして、東京市電が走り、多くの人で賑わい、大正時代に

最盛期を迎えました。

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万世橋駅の末路

しかし万世橋駅の開業後に、

東京駅が完成。                20140502iphone_218r

1919年(大正8年)3月1日、

万世橋 - 東京が開通。

中央本線の起終点としての役目は

7年で終わったのです。

その後、万世橋駅は1923年

(大正12年)の関東大震災で

駅舎が焼失し、遺体安置所に

利用された後、簡素な駅舎が        20140502iphone_197r

再建されました。

徒歩で行ける距離に神田駅及び

秋葉原駅が出来た為、乗降客は

減少していき、須田町交差点が

移転後、1929年(昭和4年)以降は

市電も通らなくなった。

1936年(昭和11年)4月25日、

東京駅から鉄道博物館が移転。

駅舎は解体縮小され、博物館に併設された小屋となったのです。

駅構内にあった階段の一部は1943年(昭和18年)11月1日、

駅は休止(実質上廃止)となり、駅舎は交通博物館部分を除いて

取り壊されました。

その後、駅舎の一部は交通博物館に転用されましたが、

2006年(平成18年)5月14日に閉鎖。

2010年(平成22年)6月までに全て取り壊されました。

これが万世橋駅の始まりと終わりの物語です。


「マーチエキュート神田万世橋」の誕生!

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さて、そんな万世橋駅の

一部が昨年9月、赤レンガ造りの

高架橋を残し、

「マーチエキュート神田万世橋」

として生まれ変わりました。

明治の開業時、使用していた          20140502iphone_242r

階段、壁面、プラットホーム

などの遺構が、高感度ショップや

カフェとともに蘇ったわけです。

旧万世橋駅と神田界隈は、

文化人から大衆までが集い、             20140502iphone_203r

人々が垣根を越えて分け隔てなく

交流する場でした。

文化性を求める人たちが語らう

往時のサロンのように、

古くて新しい商業施設として、

東京の新名所になっていく

そんな予感がするエリアです。

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連続するレンガアーチの高架下に12の店舗

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往時の階段

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往時のプラットホーム

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秋葉原の電気街そばにあるこの商業施設。

ちょっと足をのばして、のぞいて見てはいかがでしょうか。

pencilエピローグ

万世橋交番パート2

万世橋駅の駅舎は完全に消滅しましたが、駅開業時より駅舎に

くっついて建てられた万世橋交番(当時は須田町派出所)は、

幾多の変遷を経て、小金井の「江戸東京たてもの園」に引き取られ、

安住の地を得た。

この写真は平成4年(1992年)に、「江戸東京たてもの園」に

そっくり移動される前の「万世橋交番」。

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万世橋駅高架橋そばのガード下に移転させられボロボロの状態。

「ぼくの近代建築コレクション」の、昭和62年(1987年)2月撮影分より。

下記写真が万世橋交番があった場所。

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そして、改修復元された今の万世橋交番

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