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文化・芸術

八王子まつり・私的写真展!

八王子まつり

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今年も8月1日~3日に「八王子まつり」が開催されました。

今年で53回目。

昨年の人出は76万人と関東でも有数の夏祭り。

八王子まつりの名物は関東屈指と言われる見事な

彫刻装飾を施した19台の山車が、お囃子の音とともに

甲州街道を練り歩く光景。

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それと、約1600人の担ぎ手による宮神輿の勇壮な渡御。

祭りは担い手たちの「ワッショイ」の掛け声とともに、

エネルギッシュな動きに、私たちは惹きこまれる。

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そして、祭りのリズムで私たちは心が開放的になり、誰もが笑顔で

心ゆくまで祭りを楽しむ。

日本の祭りはそんな魅力がある。

昨年に続き、今回も祭りの様子を写真撮りしたので、

私的写真展として、厳選セレクトしてみました。


祭りの前に

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「そろそろ出番だ」

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「シャボン玉」

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「スーパーボール」

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「太鼓合戦」

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「出陣前の憩い」

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宮神輿渡御

「祭りだ!ワッショイ!」

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「肩でワッショイ!」

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「女子力パワー」

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「ママさんパワー炸裂!」

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「青い目の担ぎ手」

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山車と舞とお囃子

「山車での談笑」

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「しゃきっと行こう」

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「おらがトリだ!」

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「赤い狐?」

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「鬼気迫る白狐」

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「狸の舞」

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祭りのほのぼの風景

「握手」

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「ガブリいくか?」

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「ぼくたちも祭りの担い手」

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「ちょっと垣間見」

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ファイナル

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おことわり

ブログの所定ディスク容量がほぼ満杯になりましたので、

「鳥見風来坊」は今回で終了です。

私の拙いブログを、多くの方々に見ていただき、

ありがとうございました。

ブログは消去しませんので、今後もバックナンバーを

ご覧になることはできます。

では、最後に秋田県小友沼:「マガンの塒立ち」で終了!

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ご案内・・・「週末散歩人」へ移行しましたので、

引き続きご覧ください。

http://mdsales.cocolog-nifty.com/

以上、よろしく!

江戸東京たてもの園

「江戸東京たてもの園」設立の趣旨

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先週、小金井公園に花見にでかけ、

立ち寄った「江戸東京たてもの園」は、

価値ある展示物でした。

東京は江戸の昔から火事、水害、    20140412iphonefile_206r

震災、戦災などにより、多くの

歴史的建築物が失われてきた。

現在もまた、社会・経済の変動に

伴って、価値ある文化遺産が

失われつつある。                    Dsc09403r_2

そこで、東京都は1993年、

江戸東京博物館の分館として、

小金井公園の中に

「江戸東京たてもの園」を建設。

現地保存が不可能な文化的価値の

高い歴史的建築物を移築し、復元・

保存・展示しながら、貴重な文化遺産

として次代に継承することを目指して

いるというのが設立の趣旨。           Dsc09404r_2


展示物のゾーン分類

敷地面積約7haのたてもの園は

大きく農家屋敷のある西ゾーン。

著名人の住居のあるセンター

ゾーン。                                       Dsc09460r

下町風情を残した商家、銭湯などが

ある東ゾーンの3つに分かれている。

で、私が注目、気に入った建築物や

乗り物などをチョイスしたのが

アップした写真です。


西ゾーンでは・・・

「奄美の高倉」

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奄美大島にあった高床式の倉庫。

湿気やねずみの害から穀物を守るため、建物本体を地面

から高く上げている。生活の知恵ですね。

「八王子千人同心組頭の家」

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江戸時代、八王子に配備された徳川家家臣団の家。

かまどでご飯を炊いている様子は昔が偲ばれます。

吉野家(農家)

江戸時代後期に建てられた農家。

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式台付きの玄関や付け書院のある奥座敷に

格式の高さを見ることができます。

写真のかまど。私が小学低学年の時、九州の田舎に

住んでいましたが、土間に置かれたかまどが

こんな感じでした。懐かしい!

デ・ラランデ邸

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この住宅は、元平屋建ての洋館でしたが、明治43年、

ドイツ人建築家のゲオルグ・デ・ラランデにより

3階建てとして増築されたそうです。

平成11年まで新宿区信濃町に建っていたという。

この1階が喫茶・食事の「武蔵野茶房」で、

お店で一番人気の「さくらロール」をいただきました。

アイスクリームとロールケーキのコラボ。とても美味でした。


センターゾーンでは・・・

高橋是清邸と庭園

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明治から昭和初めにかけて日本の政治を担った

高橋是清の住まいの主屋部分。

2・26事件の現場になったということでも有名。

ここでちょっと小金井公園の花見の様子を・・・

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旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)

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尾張藩主徳川光友の正室千代姫が、その母お振りの方

(徳川家光の側室)を供養するために建立した霊屋。

慶安5年(1652年)の建立ですが、きらびやかで

彫り物も素晴らしい。


東ゾーンでは・・・

天明家(農家)

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江戸時代、鵜ノ木村(現在の大田区内)で名主を勤めた旧家。

かまどにいろり。古き良き日本の原風景です。

武居三省堂(文具店)と植村邸

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左が明治初期に創業した文具店。前面がタイル貼り。

右が植村邸。建物の前面を銅版で覆った和洋折衷の住居。

小寺醤油店と丸二商店(荒物屋)

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左が小寺醤油店。大正期から、現在の港区白金で営業していた店。

右が昭和初期に建てられた荒物屋。小さい銅板を巧みに

組み合わせて模様をかたち作り、建物の正面を飾っている。

大和屋本店(乾物屋)と仕立屋

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子宝湯

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東京の銭湯を代表する建物。神社仏閣を思わせる

大型の唐破風。玄関上の七福神の彫刻。脱衣場の

格天井などぜいを尽くした造り。

この銭湯。実は「千と千尋の神隠し」のモデルに なった銭湯。

昭和4年、足立区千住元町に建てられ、70年近く営業した

現役だった銭湯の「子宝湯」。


乗り物で・・・

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これはいすゞTSD43型のボンネットバス。

個人所有を展示物として貸与されれているそうです。

これもなつかしいバスです。

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都電7500形。渋谷駅前を起点とし、新橋、浜町中ノ橋、

神田須田町まで走っていた車輌。

都電は荒川線を除いて全て廃止され寂しいかぎりです。


万世橋交番物語

最後に登場させたのがこれ。

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万世橋交番と1号丸型の郵便ポスト

この交番は波乱万丈の運命をたどり、ここ江戸東京たてもの園で

安住の地を得ました。

万世橋交番の前身は須田町派出所で、明治45年4月1日。

万世橋駅(現在はない)が中央線起点駅として開業。

美しい赤レンガの駅舎は建築家・辰野金吾氏によるもので、

2年後、彼の手によって赤レンガの東京駅が完成。

万世橋駅の右端に誕生した交番が写真そのもので、

須田町派出所(万世橋交番の前身)であった。

その後、大震災の被害を受けながら生き残り、

昭和8年、交通博物館開業により交番・須田町派出所は

万世橋のたもとガード下(肉の万世のすぐそば)に移転。

昭和30年頃まで使用されていたという。

しかし、その後は倉庫のような扱いを受け、ボロボロに

傷んだ交番建物を、平成4年、冷たい雨の中、そのままの

姿で徹夜作業によって、そっくり、大型トレーラにより

江戸東京たてもの園に運びこまれた。

そして、現在のような美しい姿に修復され、

多くの見物客を楽しませている。

これが万世橋交番物語です。

何故、この交番にこだわるか。       Dsc09552r

実は、35年前、万世橋交番の

近くにあった会社に勤務して

いたので、絶えず誰もいない

交番を見ていました。

そして、江戸東京たてもの園で

美しい姿になって再会。

感激そのもの。本当になつかしい。

交番を見て、神田に勤めていた

頃のことを思い出しました。

肉の万世で肉料理やラーメンを

食べながら、気になっていた

ぼろかった無人交番。

人生は奇なりですね。

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八王子祭り・天狐の舞!

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八王子祭り

八王子祭りは毎年、8月初めに東京都八王子市で    

開催されている関東でも有数の最大の祭りです。

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祭りのメインは江戸時代から続く町内会の氏子を

中心とする山車祭り。

関東屈指の彫刻装飾がほどこされた19台の山車に    

よる巡行が有名。

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山車祭りと同時開催されている多賀神社の祭礼を、

「上の祭り」。

八雲八幡神社の祭礼を「下の祭り」として親しまれて

います。

祭りの始まりは昭和36年

(1961年)で、第1回市民祭                 Dsc08267r

としてでした。

今年で53回目となった

八王子祭りは、8月2日~

4日の期間で開催され、

76万人の人出で、過去最高

だったようです。

ということで、山車祭りに焦点をあて、お囃子に合わせて

舞う天狐の舞。そして、はやし方さんたちも

激写?しています。


天狐の舞

上に羽織る装束は、赤、白、ベージュなどいろいろあるようだ。

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ひょっとこ踊り

何故かある山車でひょっとこの舞いというより踊りが

あった。お笑いのサービスなのか???

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祭りを支える囃子方さん

祭り囃子で大太鼓、小太鼓、笛、鉦などを演奏する

囃子方さん。華やかな天狐の舞いの後ろで

たんたんと演奏。

皆さん、真剣な目で祭りを盛り上げている。

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山車の屋根の男衆

山車の一番高い所に立ち、提灯を持って

突き進む姿は、きりっと凛々しい。

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祭りは人をワクワクさせる。祭りの見物客は

みんな笑顔で楽しそう。日本人には、古来より脈々と

祭り好きの血が流れているのだろう。

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円覚寺・石仏群

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円覚寺・路傍の石仏

北鎌倉・円覚寺シリーズの       Dsc07160r

第2弾は塔頭付近に点在する

石仏群です。

わき道の草むらに安置された石仏。

通りすがりの小道や庵の草むらに

ひっそり佇む石仏は、気をつけて

よく見ないと、見過ごしてしまう。

寺の本堂内などに安置されている

威厳あるご本尊などと違って、

石仏はそれぞれ味わい

深い顔をしている。                   Dsc07360rr

私は、そんな魅力に惹かれて

しまいました。

塔頭のひとつである雲頂庵に

登って行く坂の小道の

道端に、石仏がひっそりと、

あちこち安置されている。

羅漢と思える石仏もあるが、

ユーモアのある顔。

慈悲深い顔ありと多彩な顔が

私を出迎えてくれた。

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崖下・やぐらの3石仏

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塔頭前の石仏

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庵内草むらの石仏

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龍隠庵の庭(解放部分)に咲いていた1輪のハスの花

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地蔵菩薩

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身代わり地蔵

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階段付近にあった不思議な物

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ある塔頭付近で見つけた木仏。

風化でかなり傷んでいるが、右は千手観音像のようだ。

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円覚寺・塔頭への坂道

鎌倉五山第2位の円覚寺

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JR横須賀線の北鎌倉駅で降り、

徒歩2,3分の所に                                  Dsc07136r       

鎌倉五山第2位の円覚寺がある。

鎌倉五山とは禅宗の寺格で、

中国の五山制度にならい、

鎌倉の禅寺に設けられた

五大官寺を指す。               Dsc07139r_2

円覚寺は執権北条時宗が、

1282年(弘安5年)、元寇の戦没者

追悼(日中双方)のため、宋僧の

無学祖元.を招いて開いた寺院と

言われている。

建物は創建当初から、いりくんだ          Dsc07158r_2

谷間のわずかな平地を利用

しながら、禅宗風の伽藍配置を      

もった堂塔が多く並んでいたが、

度重なる火災で、創建当初の

建物は全て失われたとのこと。

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円覚寺の朝は早い

早朝の円覚寺。

参拝客や観光客を迎えるため、

境内には多数の人々が、働いていた。

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やがてお坊さんが出勤。自分の持ち場へと・・・

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塔頭へ通じる坂道

禅宗では高僧の塔がある所を      Dsc07175r

塔頭(たっちゅう)という。

円覚寺の塔頭は、繁栄時には

42院を数えたが、現在は19の

塔頭が残されている。

各塔頭は独立していて、1つ1つの    Dsc07254r

お寺と同じで、お寺の中に、

また小さなお寺があるという感じに

なっている。

塔頭は元来、高僧の墓のことで、

その直ぐ近くに小庵を建て、       Dsc07284r            

弟子たちがそこを守っている。

従って、ほとんどの塔頭が

非公開で、一般の人は入れない。

それでも、塔頭に通じる坂道や

階段は風情があり、それを登る

だけで、何か心が洗われる感じになる。

そんな塔頭とまだ日陰でひっそりと咲いていた

紫陽花を交えて、アップしていくことにする。

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私が一番惹きつけられたのが

円覚寺境内の一番奥まったところにある塔頭の

「黄梅院」。ここは第15世の夢窓疎石(夢窓国師)の

塔頭。本尊は千手観音像。1354年(文和3年)、

門弟の方外宏遠が開創したと言われている。

夢窓国師と言えば、鎌倉末期から室町時代に

禅宗発展の基礎を築いた人物として、知られて

いるが、作庭によっても、広くその名が知られている。

苔寺の愛称で知られる西芳寺庭園。「太平記」に

記された天竜寺庭園など、数多くの庭園設計を

行っている。

何故か私は黄梅院に引き寄せられるテレパシーの

ようなものを感じたのである。

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北鎌倉・東慶寺の静謐

東慶寺の歴史・人間模様

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先週末、北鎌倉にある東慶寺に

紫陽花やイワタバコの花などを

見ようと、早朝、行って来ました。

東慶寺は鎌倉時代、

第9代執権・北条貞時が               Dsc06545r

父・北条時宗死去の翌年、

(1285年)覚山尼を開山として

建立した臨済宗のお寺です。

覚山尼は、北条時宗の夫人で

あり、貞時の母にあたり、時宗の

死後、出家して尼となった。              Dsc06568r

東慶寺は現在、男僧の寺で

あるが、明治36年までは代々、

尼寺でした。この東慶寺は

封建時代、縁切り寺として

600年にも渡り、女性救済の

役割を担ってきました。

そして、東慶寺は後醍醐天皇の

皇女で第5世用堂尼が入山してから、    

「松岡御所」と称され、格式高いお寺

でもあります。

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女人救済で目立って貢献した

のは、20世の天秀尼。                 Dsc06569r

1615年の大坂城落城後、

父豊臣秀頼、祖母淀君を亡くし、

徳川家康の孫・千姫のはからいで、

死罪からまぬがれ、7歳で東慶寺へ

入寺。以後、自らの不遇の       Dsc06645r

生い立ちを糧に、女人救済の

駈け込み寺を中興し、不憫な

女性の救済に、全精力を

注がれたとのことです。

なお、東慶寺の奥まった所に、                Dsc06522r

著名な文人、哲学者などの

お墓があります。

西田幾太郎、和辻哲郎、

岩波茂雄、高見順、小林秀雄、

安倍能成、鈴木大拙・・・

その他、佐々木信綱や

四賀光子の歌碑などの

あります。

ところで、山門をくぐって左側にあった鐘楼。

その垂木に2匹の海亀と、唐獅子に牡丹の彫刻があり、めずらしい。

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東慶寺は人間模様の歴史を刻み、ミシュランガイドで三ツ星に

輝く素敵な所として、四季折々の花や、歴史あるお寺を鑑賞、

お参りしようと、多くの人たちを魅了する名所に様変わりしています。


凛として咲く花たち

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苔むす佇まい

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凛列の仏像や石像

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静謐(せいひつ)の佇まい

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10時近くになると、山門の階段を

上ってくる人たちが増えてきました。     Dsc06477r

東慶寺は紫陽花や縁切り寺と

してのイメージだけでなく、

敷地内の寺全体が静かで

歴史ある佇まいであることに

気づく、素晴らしいお寺です。

そして、「静謐」(せいひつ)と

いう言葉がぴたりとはまる

幽玄美の古刹です。

幻の和紙!杉原紙物語

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杉原紙カレンダー

このカレンダーは幻の和紙と

言われた1300年前の技法に      Kami3

よって作られた、杉原紙による

ものです。

大正末期、この世から途絶えた

杉原紙を40年ぶりに復活させた

地元の町立杉原紙研究所から

買い求めました。

カレンダーの独特な紙の風合い

に感激しましたが、それ以上に

同研究所から送られてきた

お手紙は、感動そのものでした。

最近、訪れた神奈川県立金沢

文庫で開催されていた鎌倉時代の       Aikawa3

特別展で見た古文書の手紙と

ほぼ同じ紙でした。

古文書の手紙は裏表に墨書され

少しヨレヨレになっていましたが、

送られてきた杉原紙と同じ紙に

鎌倉人お相手への思いを綴った

かと思うと、私は鎌倉時代へ

タイムスリップした感じになりました。


和紙の誕生


世界で紙が誕生したのは、

中国の後漢時代、蔡倫という          Seeyou2012_10_washi

宮中の長官が、書写材料に

適した紙を研究し、105年に

完成させたことによります。


日本への紙の伝来


日本に紙の製造法が伝わったのは、610年、高句麗の曇徴と

いう僧によると言われています。

日本で紙の必要性が高まったのは、仏教のためだと言われて

おり、写経に使う紙として、完成度を高めていきました。


和紙の製造


製紙技術の伝来から100年経過して、本格的な紙の国産化が

始まりました。

「正倉院文書」によると、天平9年(737年)には、美作、播磨、

美濃、越などで紙すきが始まったとされています。

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杉原紙のルーツ


「正倉院文書」に出ている播磨は、現在の兵庫県多可郡多可町の 


北部、杉原谷をさし、ここで紙を漉き始めたのは7世紀後半と

推定されています。

奈良時代、杉原紙は「播磨紙」と呼ばれ、紙の質や生産量から

日本一の紙と謳われていたそうです。

平安中期から室町末期まで杉原谷は藤原摂関家の荘園

とされ、「椙原庄」と呼ばれ、ここで漉かれた紙を「椙原

庄紙」と言われた。

それが「杉原紙」と変わってきたというわけです。


杉原紙の用途


杉原紙は奈良時代、もっぱら 

写経用紙に、鎌倉時代には       Sugiw4_2

幕府の公用紙に用いられ、

貴族や僧から武士にも普及

していきました。

室町時代中期からは次第に

一般庶民にも普及。

証書や手紙、本の印刷用紙にも使われ始めました。

江戸時代に入ると浮世絵や錦絵の多色刷りの版画の

用紙として大いに用いられ、その名が全国に広がりました。


杉原紙の製造工程


杉原紙が1千年以上の長きに

渡り、天下の名紙としてその       Kouzo

名をとどろかせたのは、

杉原谷に自生していた

楮(こうぞ)、深い谷の奥から

湧き出る清らかな水、それらが

良質であったことにあります。

そして、自然の恵みを巧みに活かした祖先のたゆまぬ努力と

工夫を積み重ねた結果なのです。ところで、杉原紙の製造工程は

大きく12通りの行程を経て、完成されます。

1本の原木が1枚の紙になるまで、約1ヶ月かかりますが、

原木50キロで、和紙1.5キロ作られるという極めて少量の

生産となっています。

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最初の①楮狩りにて原木を秋に刈り取りから

「杉原紙の行程」に説明されている通り、最後の⑫選別に

至る行程は、全て人手によって行われています。

機械でなく人手による紙作りはその分、人のぬくもりが感じら

れるわけです。


杉原紙の栄枯盛衰


杉原紙は江戸時代に隆盛を

極め、杉原谷は300軒もの      Sugiw1

製紙業者であふれていたの

ですが、明治時代、西洋紙が

日本へ上陸し、西洋紙に圧倒され、

大正14年、消滅していったのです。

それから50年近く経った

昭和47年、地元の方たちが

杉原紙を復活させようと、町立の

杉原紙研究所を設立。昔ながらの技法で杉原紙をすき

始め、今日に至っているのが、杉原紙復活の物語です。

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楮(こうぞ)の一戸一株運動


1300年の時を超え、杉原紙が再び蘇ったわけですが、江戸時代、

紙の需要拡大にともない、楮が大幅に減少してしまいました。

そこで、昭和6年から町で「こうぞの一戸一株運動」を始め、

原木の自給を進めているとのことです。

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製造工程のイラスト


そんなわけで、杉原紙で作られた来年のカレンダーを、1枚1枚                              

眺めながら、イラストで描かれた製造工程に、なるほど、なるほど

と感心している私です。

Sugiwarasi

杉原紙研究所   http://www.takacho.jp/sugiharagami/

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中世鎌倉人の手紙:女性編

紙背文書(しはいもんじょ)

その昔、和紙が貴重品であったため、手紙など使用済みの

面を反故として白紙の状態である裏面を利用して、別の文書を

書くという習慣が人々の間で根付いていました。

後で書かれた文書が主体となるので、先に書かれた文書が

紙背(しはい)となり、裏文書とも呼ばれています。

和紙の再利用法は昔の人達による生活の知恵であり、

着物の再利用習慣と合わせ、エコーなリサイクル概念が

昔の人々にはあったようです。

ここに今からおよそ700年前の鎌倉時代後期に書かれた

1通の手紙があります。


秋の分の小袖 氏名不詳書状

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氏名不詳の女性の手紙ですが武士の妻か一般女性の物と

思われます。

「秋のふんのはうしやの御小袖を、いまたまいらせ候ハさりける。

あさましく候て、まいらせ候。このよしを申させ給へく候。

あなかしく。」

この古文書を解釈すると

「長老様の秋用の小袖を、まだ差し上げてないことに気づき

ましたの。とんでもない不始末で、嘆かわしく思いますわ。

(急ぎ)お送りします。どうか、お詫びを申し上げて下さいな。」

と言うようになるそうですが、解釈したのは私ではなく

栄光学園の教師をされている相川高徳氏です。


中世鎌倉人の手紙を読む:女性編

で、これは相川氏の著書

「中世鎌倉人の手紙を読む:      Img_0002r_3

女性編」から、   

私が抜粋したものです。

<日本人は昔から、季節ごと

衣替えをしてきています。

いつも、秋には秋用の小袖を

長老様に献上していたのに、

今年はうっかりして忘れて

しまいました。この不始末は、

自分でも驚き呆れるばかりだと、    Kanazaw_005r

この女性はお詫びの手紙と

ともに、秋の小袖を長老様に

送ったようです。

この時代、長老だけでなく

僧侶たちに、春夏秋冬、

新調した衣類を贈り、また、    Img_2415r

機会あるごとに、

「すすぎもの(洗濯物)」の

奉仕をしていたということが、

金沢文庫古文書の数多くの

女性の手紙から分かる>と     Dsc02675r

相川氏が説明されています。

このような手紙が金沢文庫に

古文書として4,149通、保管されて

おり、国宝として重要文化財に

指定されています。

古文書は                 Kanazaw_018r

①武士書状

②僧侶書状

③氏名不詳書状

④所務(しょむ)書状

⑤印信許可(いんじんこか)

と5種類に大別されており、

この手紙は③の氏名不詳書状に

あたるわけです。

相川氏は金沢文庫の古文書に出会い、以来、古文書(手紙)の

解読をライフワークとして、日々、取り組んでいるそうです。

彼曰く。全部の手紙を解読するのに、後100年はかかると。

ところで、金沢文庫の古文書は、700年の時を超え、

鎌倉人の暮らしぶりが鮮明に蘇る、正に貴重な国の宝です。

相川氏の書を読むと、鎌倉女性がいかに謙虚につつましやかに

暮らし、ささやかな楽しみを見つけては、その喜びを周囲の人たちに

分け与えていたという様子がうかがえます。

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茶の実・・・去年いただいた茶の実は植え方が悪く(失敗して)、

      芽も出さずじまいでしたの。今年も挑戦するので、

      茶の実を少し送ってくださいな。

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藤・・・称名寺の裏山の藤の花が見ごろと聞いて、見に行きたい

    のですが、病気で湯治をしているので、行けません。

    せめて、煎茶?を差し上げたい。(藤花見物と新茶を

    飲むのを楽しみにしていた様子)

その他

立花・・・仏前に供える花を送ります。水を毎日新鮮なものと

取り替えれば、10日ばかりは葉も萎れませんわ。

(必要な時は仰ってくだされば)花を送りますわ。

栗拾い・・・こちらの山の栗を女房たちが拾いましたので、

       お坊様たちにも、この栗を拾って欲しく、お誘いの

       お手紙を差し上げましたの。それがかなわないなら

       少し拾った栗を贈りますわ。

などなど。


「カフェギャラリー&窯 ばおばぶ」

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ところで、相川氏は私の大学の          

先輩であり、かつ、同じクラブの             Imgp3369r_3

先輩でもあるということを、

最近知りました。

確かにどこかで聞いた名前だな

と思っていたのですが・・・

金沢文庫の称名寺を訪れた帰り、

お寺近くの「カフェギャラリー&窯

ばおばぶ」に寄った際、カフェの主          Dsc02694r_3   

(大学先輩の女史)から相川氏の

事を知ったというわけです。                  

相川氏は理工学部卒業の理系の

方で、古文書は全くの素人だった

そうです。それが、金沢文庫で

古文書の手紙に出会い、以来、     Imgp3371r

手紙の解読に埋没していった

とのことで、今や中世鎌倉時代の

古文書解読第一人者になられて

います。

私は称名寺や金沢文庫へ

行った折、先輩のカフェで

オーガニックコーヒーを飲みながら、祈りや人生の事、

健康の事、お店のお客さんのことなど、いろいろ話すことが

楽しみになっています。

金沢文庫物語

神奈川県立金沢文庫

「・・・トンネルを抜けると                 Dsc02639r

雪国であった。・・・」という冒頭の

文章で始まる小説は川端康成の

「雪国」ですが、称名寺の境内にある

トンネルを抜けると、そこに

「神奈川県立金沢文庫」が現れた。

このトンネルは称名寺と金沢文庫を

結ぶ最短の抜け道と知ったのは

つい先月・10月のことでした。

何年も称名寺に来ているのに、まさに新発見。

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これが称名寺からのトンネルを通り抜けて出現した

「金沢文庫」の裏正面。

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こちらが正面で入り口は狭い。ドアを開けて左側に喫茶室兼

金沢文庫関連の本やポストカードを販売する店になっています。


金沢文庫駅

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京浜急行線で横浜から特急に乗り、2つ目に金沢文庫という駅が

あります。この駅名は「神奈川県立金沢文庫」という施設名に

ちなんでつけられています。


金沢文庫の由来

金沢文庫駅から徒歩15,6分の   

所に世界遺産登録申請中の            Kanazaw_007r_3     

「称名寺」と隣接する形で

「神奈川県立金沢文庫」があります。

金沢文庫は、鎌倉中期の武将      

北条実時が1275年に建設したと

言われる武家の文庫で、日本の

初期における私設図書館とも        Imgp3353r_2

位置づけられています。

実時は鎌倉を中心に金沢家に

必要な典籍や記録文書を集め、

収集した和漢の書を保管する

ため、書庫を金沢郷に創設

したということです。                        Kanazaw_004r      

金沢氏を含めた北条氏の

滅亡後、称名寺が管理を

引き継ぎましたが、寺運の

衰退とともに、蔵書も次第に

散逸(中でも徳川家康や

前田綱紀らの持ち出した数は

かなりのものだったと言われている)したとのことです。

その後、金沢文庫は荒廃し、1897年に伊藤博文らによって、

再建されるも、関東大震災で失われ、1930年に神奈川県が

運営する文化施設として復興。

さらに1990年には新館が完成し、現在は鎌倉時代を中心とした

所蔵品を展示公開する歴史博物館と、国宝や重要文化財を

含む金沢文庫の蔵書を分析・研究する施設が設置運営している。

この金沢文庫の特異なことは、国宝や重要文化財の仏像、

お経、掛け軸、古文書、壷などが保管されているだけでなく、

この時代のお坊さん、武士、女性たちのノートや手紙が

数千通保管されていることで、当時の四季折々の暮らしぶりを

知ることができることにあります。

もっともその文書の解読は一部で、解読担当者に言わせると、

あと100年はかかると言われています。


3館連携特別展:鎌倉興隆ー

          金沢文庫とその時代ー

2012年10月13日~12月2日

私が先週、金沢文庫を訪れた時、丁度、表題のような特別

展示が行われていました。私が真っ先に向かったのはこれ。

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国宝 北条実時の肖像画でガラス越しに拝見。

館内は写真撮影禁止なので、これはポストカードの画像です。

実時は幼少の頃から天童と畏怖され、3歳にして執権北条泰時に

拝謁し、自作の和歌を20ほど披露。そのどれも流麗で格調高く、

泰時を大いに感服させたというエピソードがあります。

実時は鎌倉幕府の頭脳として八面六臂の活躍をする一方、

文献の収集に余念がなく、集めた膨大な文献・資料を保管する

施設として、日本で最初の図書館である金沢文庫を設立した

わけです。

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次に目にしたのが、重要文化財の「称名寺絵図」(1323年)

称名寺建立当時のお寺や庭園の位置関係がよくわかる。

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その他、白氏つまり白居易の書で金沢文庫に所蔵されていた

ものが現在、国立民族博物館に保管されています。

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これは重要文化財の宋版「南史列伝」第三十八で 

中国・南宋時代の書。金沢文庫の墨印が押されています。

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これも重要文化財で「法華経・観音普門品」(鎌倉時代)

称名寺の本尊・弥勒菩薩立像に納入されていた供養経。

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仏像として重要文化財の「釈迦如来立像」(鎌倉時代)

律宗で学んだ仏教の開祖の姿とされています。

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今回の展示で称名寺以外のお寺さんが陳列提供していた

このような懸仏を、多数見ました。ほとんどが銅製で

当時の高度な技術力を垣間見ることができました。

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これは異色の展示物で、本来なら重要文化財級の逸品ですが、

館山市の旧家で発見された個人の物をお借りして展示した

ということです。このページでは挿絵入りでお灸のすえ方を

書いていますが、実は古い医学書で、中国の南宋時代

(12~13世紀)に出版されたそうです。中国ではこの現物が

残っていないという極めてレアな医学書で、巻末に

「金沢文庫」の蔵書だったことを示す印があるという

ことから、元は金沢文庫が所蔵していたようです。


金沢北条氏一族の功績

北条実時によって創設された「金沢文庫」は

顕時(あきとき)、貞顕(さだあき)、貞将(さだゆき)と

三代に渡って、実時の遺志は受け継がれ、膨大な書籍、

歴史物を遺してきました。

鎌倉以降の武将たちが、金沢文庫に注目し、保管された

膨大な書籍を、武家社会の教育用として利用してきたので、

徳川家康らのように、これら書籍を大量に持ち出すという

事が起きています。

実時のすごいことは、金沢文庫の書籍等を武士や僧侶

のみならず、一般の人々にも公開したことにあります。

その伝統が受け継がれ、江戸時代、吉田兼好も若い頃、

この地にたびたび訪れたようです。

つまり、実時は一般庶民の知識レベルの向上に多大な

貢献をしてきた歴史的人物として、後世の人たちにも

賞賛されるていくことになるでしょう。

 

世界遺産へ!称名寺の秋

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黄葉の称名寺

京急電鉄の横浜駅から特快に   Imgp3361r_2

乗り、二つ目の駅に

金沢文庫という駅があります。

その駅より徒歩12分程度の所に、

「称名寺」という鎌倉時代の古刹が

あり、私は何度か訪れています。

ここは、黄葉する11月20日過ぎに

訪れるのがベストで、冬鳥が池に     Img_2436br_2

入っているので、探鳥も楽しめます。

称名寺の境内には樹齢800年の

いちょうの古木があり、横浜市の

名木古木に指定されています。

古木のいちょうが黄葉し、池の

水面にその樹影が映り、

水鳥たちが泳ぐ光景は

一幅の絵を見る感じで、

心が癒されますね。

オナガガモ、ヒドリガモ、

コガモ、オオバンなどが

よく入っています。

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この池は「阿字ヶ池」といい、朱色に塗られ復元された「反り橋」、

「平橋」とともに、鎌倉時代に作られた庭園の中で、最も

美しいと言われています。

ところで、称名寺は北条実時が1258年、自分の領地内に

創建したと言い伝えられています。

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世界遺産候補へ

最近、知ったことですが、称名寺が

世界遺産候補になっており、        Img_2371r_2

来年、ひょっとしたら世界遺産に

登録されるかもしれないという

ビックニュース。

何でも日本政府は今年の1月、

鎌倉にある寺院等をひとまとめに

した「武家の古都・鎌倉」を

ユネスコ世界遺産に推薦した

そうです。

そして、来年6月、ユネスコの       

委員会が登録の可否を審議     Img_2362r_2

するとのことで、来年の今頃、

称名寺の門前に

「ユネスコ世界遺産」の

看板が掲げられているのでは

ないでしょうか。

ここでこんな疑問が出てきます。

鎌倉の鶴岡八幡宮や大仏様

などが世界遺産の候補リストに

乗るのは当然だと誰しも思う。

しかし、鎌倉から10数キロ離れた    Imgp3352r

称名寺1ヶ所が何故リストに?

それは、称名寺と縁の深い

「金沢文庫」が称名寺の歴史的

価値のある文化遺産を保管、

管理していることにあるようです。

国宝や重要文化財はもとより

鎌倉時代のお坊さんや武士が残した手紙、ノート、記録など

古文書が無数に保管されていることに、評価されているようです。

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境内や門前にびっしり敷きつめられたいちょうの落ち葉。

行く秋を感じざるを得ませんね。

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